2018年05月08日
奄美大島の未来
小さい頃
母親が仕事の合間をみて夕日が沈む
大浜海岸に行ったのを覚えています。
夕日が沈む数十分だけ海に浸かり思いっきり遊ぶ
その時水中眼鏡から見た夕日に染まる枝サンゴ礁や
水平線に落ちる真っ赤な夕日
夕日が沈むと「帰るよ~!」と母の声
あれから20数年
奄美大島の未来を思いながらあの時と同じ真っ赤な夕日の中を漕いでいる。

今年は大きな挑戦をしようと決めていた年でした。
結人プロジェクト
2013年6月に奄美群島日本復帰60周年という節目の年に
先人の苦難や苦労を体全体で体現し負けてたまるか精神(すっとごれ魂)を次の世代へ繋げるため
沖縄から奄美大島を一人乗りのアウトリガーカヌーで島を目指しました。

沢山の支えの中で無事に奄美大島に帰ってきた僕は
一人でやっていたアマニコを現在結人(株)に登記し観光業とカヌークラブを
三人兄弟妹で運営しています。



2013年から5年の間、次に目指す島として鹿児島を挙げていました。
復帰65周年が来たら出航するという気持ちで自分の心の中には
急速に鹿児島へ行くことばかりを考えるようになりました。
それから5年の間、新しい出会いや出来事が起きはじめ、自然と目的地に近づいていると思っていました。
そして、今年の2月に5年前に結成した結人プロジェクトチームと鹿児島結人チームで
計画をし準備をしている時期に奄美大島沖合い300キロ付近で大型タンカーが沈没
いつも活動している朝仁海岸や西側の海岸そして宝島などに油が漂着してしまいました。


今は油を取り除く撤去作業や海岸清掃をするのが最優先という判断をチームのみんなと決めて
縦断は延期になりました。

延期になり、ゆっくり立ち止まり
考える時間ができました。
ゆっくり自分と向き合ったときに
65周年という節目にこだわり過ぎて島の心を伝える事が目的で
手段として鹿児島を目指すはずだったのに目的が漕いで鹿児島へ行くことに
変わっていたのに気づきました。
まだまだ修行がたりません・・・
ゆっくり行くべき時が来たら漕ぎだします。
それまで待っていてください。
必ずその時が来るまで漕ぎ続けます。
競技者として
去年の11月に第一回目のアジア選手権が始まり
日本では非公開になりましたが銀メダルをいただくことができました。

今思うと帰国して2週間後に亡くなった母親が最後に花を咲かせてくれたんだと思っています。

その一輪の花が実を結び今年の6月に日本選手権として始まります。
競技者として奄美のすっとごれ魂を伝えるために手段は変わるけど
精一杯表現し伝えていきますので応援よろしくお願いします。
奄美の未来
そして今年に入り奄美大島にとっても大きな流れを特に感じるようになりました。
世界自然遺産は延期になりましたが、国立公園に指定され注目が集まっています。
マングローブや名所を案内していると
奄美大島に訪れる方たちが増えているのを感じます。

僕も7年前にアマニコガイドサービスを立ち上げてから準備をしてきました。
そして現在は4年前に兄ちゃんが帰ってきて会社を支えてもらい、妹も2年前に帰ってきて明るい性格で
支えてもらっています。
兄弟だけどそれぞれ得意分野を持っていて、役割分担が自然とできています。
僕はよく突発的な性格で思いついたらすぐ実行してしまう性格なのですが
兄は慎重に物事を考える性格です。
妹はどちらかというと僕に似ていますが人見知りをすることなくすぐに仲良くなります。
アマニコで大事にしていることがあります。
島の心に触れてもらえるように、できるだけ少人数でゆっくり島で育った人と旅をしてもらうこと。

専門的な知識は正直劣っている部分もあると思います。

でも島の流れや空気、ここで生きてきた島人として島のことを誇りに案内しています。
カヌーやSUPは島を表現したり伝える手段だと思っています。
昔や今もカヌーは島を渡るための手段でした。
奄美のネリヤカナヤ(理想郷)を目指す手段としてこれからもカヌーやSUPそして島人を通して漕ぎ続けていけたら
必ず素晴らしい未来が待っていると思っています。
大きな開発よりも海洋教育が必要だと思っています。

海を通して奄美を伝えられる島人の育成や安全を促すライフガードの育成・・・地域ごとにあるカヌークラブ


僕は7年前にアマニコカヌークラブを朝仁海岸を拠点に発足し活動をしています。
昔ながらの海岸沿いが残る素晴らしい景観の朝仁海岸
地域の方たちが守ってきた場所で海の楽しさ漕ぎ方時には危険を教えながら
先日10人ほどでそれぞれ一人乗りのカヌーに乗り、大浜海岸を往復しました。


クラブの中には転勤で奄美に来ている方から地元の方もいます。

人力で渡れるように練習を積んできた結果素晴らしい景色が待っています。

時間はかかりますが何を残し伝えていくのか・・・
海に目を向けてください。

豊かな島とは何か・・
そして海からウミガメやクジラと同じ目線で島を見つめてください。

きっと何かに気づくと思います。
僕はその何かに気づくことができました。
それはきっと奄美のネリヤカナヤの姿だと思います。
小さい頃
母親が仕事の合間をみて夕日が沈む
大浜海岸に行ったのを覚えています。
夕日が沈む数十分だけ海に浸かり思いっきり遊ぶ
その時水中眼鏡から見た夕日に染まる枝サンゴ礁や
水平線に落ちる真っ赤な夕日が僕の感じる奄美大島です

母親が仕事の合間をみて夕日が沈む
大浜海岸に行ったのを覚えています。
夕日が沈む数十分だけ海に浸かり思いっきり遊ぶ
その時水中眼鏡から見た夕日に染まる枝サンゴ礁や
水平線に落ちる真っ赤な夕日
夕日が沈むと「帰るよ~!」と母の声
あれから20数年
奄美大島の未来を思いながらあの時と同じ真っ赤な夕日の中を漕いでいる。

今年は大きな挑戦をしようと決めていた年でした。
結人プロジェクト
2013年6月に奄美群島日本復帰60周年という節目の年に
先人の苦難や苦労を体全体で体現し負けてたまるか精神(すっとごれ魂)を次の世代へ繋げるため
沖縄から奄美大島を一人乗りのアウトリガーカヌーで島を目指しました。

沢山の支えの中で無事に奄美大島に帰ってきた僕は
一人でやっていたアマニコを現在結人(株)に登記し観光業とカヌークラブを
三人兄弟妹で運営しています。



2013年から5年の間、次に目指す島として鹿児島を挙げていました。
復帰65周年が来たら出航するという気持ちで自分の心の中には
急速に鹿児島へ行くことばかりを考えるようになりました。
それから5年の間、新しい出会いや出来事が起きはじめ、自然と目的地に近づいていると思っていました。
そして、今年の2月に5年前に結成した結人プロジェクトチームと鹿児島結人チームで
計画をし準備をしている時期に奄美大島沖合い300キロ付近で大型タンカーが沈没
いつも活動している朝仁海岸や西側の海岸そして宝島などに油が漂着してしまいました。


今は油を取り除く撤去作業や海岸清掃をするのが最優先という判断をチームのみんなと決めて
縦断は延期になりました。

延期になり、ゆっくり立ち止まり
考える時間ができました。
ゆっくり自分と向き合ったときに
65周年という節目にこだわり過ぎて島の心を伝える事が目的で
手段として鹿児島を目指すはずだったのに目的が漕いで鹿児島へ行くことに
変わっていたのに気づきました。
まだまだ修行がたりません・・・
ゆっくり行くべき時が来たら漕ぎだします。
それまで待っていてください。
必ずその時が来るまで漕ぎ続けます。
競技者として
去年の11月に第一回目のアジア選手権が始まり
日本では非公開になりましたが銀メダルをいただくことができました。

今思うと帰国して2週間後に亡くなった母親が最後に花を咲かせてくれたんだと思っています。

その一輪の花が実を結び今年の6月に日本選手権として始まります。
競技者として奄美のすっとごれ魂を伝えるために手段は変わるけど
精一杯表現し伝えていきますので応援よろしくお願いします。
奄美の未来
そして今年に入り奄美大島にとっても大きな流れを特に感じるようになりました。
世界自然遺産は延期になりましたが、国立公園に指定され注目が集まっています。
マングローブや名所を案内していると
奄美大島に訪れる方たちが増えているのを感じます。

僕も7年前にアマニコガイドサービスを立ち上げてから準備をしてきました。
そして現在は4年前に兄ちゃんが帰ってきて会社を支えてもらい、妹も2年前に帰ってきて明るい性格で
支えてもらっています。
兄弟だけどそれぞれ得意分野を持っていて、役割分担が自然とできています。
僕はよく突発的な性格で思いついたらすぐ実行してしまう性格なのですが
兄は慎重に物事を考える性格です。
妹はどちらかというと僕に似ていますが人見知りをすることなくすぐに仲良くなります。
アマニコで大事にしていることがあります。
島の心に触れてもらえるように、できるだけ少人数でゆっくり島で育った人と旅をしてもらうこと。

専門的な知識は正直劣っている部分もあると思います。

でも島の流れや空気、ここで生きてきた島人として島のことを誇りに案内しています。
カヌーやSUPは島を表現したり伝える手段だと思っています。
昔や今もカヌーは島を渡るための手段でした。
奄美のネリヤカナヤ(理想郷)を目指す手段としてこれからもカヌーやSUPそして島人を通して漕ぎ続けていけたら
必ず素晴らしい未来が待っていると思っています。
大きな開発よりも海洋教育が必要だと思っています。

海を通して奄美を伝えられる島人の育成や安全を促すライフガードの育成・・・地域ごとにあるカヌークラブ


僕は7年前にアマニコカヌークラブを朝仁海岸を拠点に発足し活動をしています。
昔ながらの海岸沿いが残る素晴らしい景観の朝仁海岸
地域の方たちが守ってきた場所で海の楽しさ漕ぎ方時には危険を教えながら
先日10人ほどでそれぞれ一人乗りのカヌーに乗り、大浜海岸を往復しました。


クラブの中には転勤で奄美に来ている方から地元の方もいます。

人力で渡れるように練習を積んできた結果素晴らしい景色が待っています。

時間はかかりますが何を残し伝えていくのか・・・
海に目を向けてください。

豊かな島とは何か・・
そして海からウミガメやクジラと同じ目線で島を見つめてください。

きっと何かに気づくと思います。
僕はその何かに気づくことができました。
それはきっと奄美のネリヤカナヤの姿だと思います。
小さい頃
母親が仕事の合間をみて夕日が沈む
大浜海岸に行ったのを覚えています。
夕日が沈む数十分だけ海に浸かり思いっきり遊ぶ
その時水中眼鏡から見た夕日に染まる枝サンゴ礁や
水平線に落ちる真っ赤な夕日が僕の感じる奄美大島です

Posted by amanico at 19:08│Comments(0)
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