2018年11月12日
アジア選手権 で念願の金メダル
アジア選手権で金メダル!

今でも昨日のことが夢のようです。


去年の11月に第1回アジア選手権で銀メダル
を取得して
12月に母親が他界し、人生で1番悲しい時間を過ごしました。

最後に母親が咲かせてくれた銀色の花は
大勢の優しさと応援が雨となり、
太陽の光となり
大事に育てた小さな蕾は
香港の海で立派な金色の花として
咲き誇りました。

目には見えないけどずっと側にいるのを
感じていました。

今でも心配しているだろうなと思います。
亡くなる前
病室のカレンダーに母親の字で心境が書かれていました。
弱音を吐かなかい強い母でしたが
カレンダーには
「9月私が癌という病気ということを初めて自覚しました。あと何年生きれるのか、そして旦那と子供たちはどうなるのでしょうか?
来年好きだったフラダンスをまたやりたいです。」
これを病室で見つけた時に大泣きしました。
一生懸命病気と闘いながら自分のことよりも家族の事を1番に考え、生きる希望を持ち続けた母親でした。
この時心から命の尊さを知りました。

そして一生に一度の人生を一生懸命生き抜こうと誓いました。
いろんな事を母親は教えてくれました。
それから1年
毎朝、朝日を浴びる事が嬉しくて

毎日の練習もガイドも全力で1日1日挑戦してきました。

食事も気をつけたり
体のことを大事にしようと思いました。
そして夢や目標を達成するために行動しました。

その結果、アジア選手権のコースがとても難しいコースに変更になり今までで一番苦しいレースの中、大きな壁のような波を横から受けながら23キロを漕ぎ
抜かれても焦ることなく自分を信じて、頭の中でささやく弱い自分の言葉を振り払い最後の最後で波に乗り2秒差でゴールできたんだと思います。

自分自身に勝つ事ができました。
そして、奄美で一緒に漕いでいる健太も5秒以内にゴール
銅メダルに輝きました。


健太がいたから最後まで楽しく漕げたんだと思います。
2人で波に乗りながら叫びながらその瞬間を楽しみ去年の金メダル選手を追いかけました。
夢のような時間でした。
そして最後の最後 で一瞬波が横に崩れているのを見つけ、その波にテイクオフし斜めにサーフスキーをあてながらゴールラインを切りました。
本当に誰が勝ってもおかしくないレースでした。
今回この海に挑戦した漕ぎ渡った選手全員が勝者だと思います。
日本代表全員がメダルを貰うことができました。
女性の総合1位も日本の牧野清美さんです。

スットゴレ魂
この言葉が大好きです。
ここだ!という時に全力を出す言葉
島の先人方がどんなに苦しい時代も
乗り越え、踏ん張り、我慢して
スットゴレ!!!スットゴレ!!!
と言葉を掛け合いながらみんなで協力して乗り越えてきたんだと思います。
その血潮が流れている
体でこれからも夢を追いかけて行きたいと思います。

何度でもやり直してそれでもダメで、だけど諦めたくなくて今があります。
生きていれば何度でもやり直せます。
生きていれば挑戦は続けることができます。
夢は必ず叶います。
何度でも這い上がって
もがいて
それでもダメで
落ち込んで
救われて
諦めなかった結果
素晴らしい景色を見ることができます。

海から眺める島が大好きです。

金メダルと銅メダルを奄美人が取得できたのも奄美の先輩方が守ってきた自然と奄美シーカヤックマラソンがあったからだと思います
そして
カヌーを砂浜から出せて大きい海で外洋で練習できたお陰だと思います。

奄美から新しい
パドルスポーツのメッカになるように
自然の中に溶け込めるパドルスポーツの普及に全力で取り組みたいと思います。
自然と人間が共存できる島を目指したいです。
応援本当にありがとうございます。
この経験を島の子供達に伝えていける活動もしていきます。
それが僕にできる島への恩返しだと思っています。

しゅん

今でも昨日のことが夢のようです。


去年の11月に第1回アジア選手権で銀メダル
を取得して
12月に母親が他界し、人生で1番悲しい時間を過ごしました。

最後に母親が咲かせてくれた銀色の花は
大勢の優しさと応援が雨となり、
太陽の光となり
大事に育てた小さな蕾は
香港の海で立派な金色の花として
咲き誇りました。

目には見えないけどずっと側にいるのを
感じていました。

今でも心配しているだろうなと思います。
亡くなる前
病室のカレンダーに母親の字で心境が書かれていました。
弱音を吐かなかい強い母でしたが
カレンダーには
「9月私が癌という病気ということを初めて自覚しました。あと何年生きれるのか、そして旦那と子供たちはどうなるのでしょうか?
来年好きだったフラダンスをまたやりたいです。」
これを病室で見つけた時に大泣きしました。
一生懸命病気と闘いながら自分のことよりも家族の事を1番に考え、生きる希望を持ち続けた母親でした。
この時心から命の尊さを知りました。

そして一生に一度の人生を一生懸命生き抜こうと誓いました。
いろんな事を母親は教えてくれました。
それから1年
毎朝、朝日を浴びる事が嬉しくて

毎日の練習もガイドも全力で1日1日挑戦してきました。

食事も気をつけたり
体のことを大事にしようと思いました。
そして夢や目標を達成するために行動しました。

その結果、アジア選手権のコースがとても難しいコースに変更になり今までで一番苦しいレースの中、大きな壁のような波を横から受けながら23キロを漕ぎ
抜かれても焦ることなく自分を信じて、頭の中でささやく弱い自分の言葉を振り払い最後の最後で波に乗り2秒差でゴールできたんだと思います。

自分自身に勝つ事ができました。
そして、奄美で一緒に漕いでいる健太も5秒以内にゴール
銅メダルに輝きました。


健太がいたから最後まで楽しく漕げたんだと思います。
2人で波に乗りながら叫びながらその瞬間を楽しみ去年の金メダル選手を追いかけました。
夢のような時間でした。
そして最後の最後 で一瞬波が横に崩れているのを見つけ、その波にテイクオフし斜めにサーフスキーをあてながらゴールラインを切りました。
本当に誰が勝ってもおかしくないレースでした。
今回この海に挑戦した漕ぎ渡った選手全員が勝者だと思います。
日本代表全員がメダルを貰うことができました。
女性の総合1位も日本の牧野清美さんです。

スットゴレ魂
この言葉が大好きです。
ここだ!という時に全力を出す言葉
島の先人方がどんなに苦しい時代も
乗り越え、踏ん張り、我慢して
スットゴレ!!!スットゴレ!!!
と言葉を掛け合いながらみんなで協力して乗り越えてきたんだと思います。
その血潮が流れている
体でこれからも夢を追いかけて行きたいと思います。

何度でもやり直してそれでもダメで、だけど諦めたくなくて今があります。
生きていれば何度でもやり直せます。
生きていれば挑戦は続けることができます。
夢は必ず叶います。
何度でも這い上がって
もがいて
それでもダメで
落ち込んで
救われて
諦めなかった結果
素晴らしい景色を見ることができます。

海から眺める島が大好きです。

金メダルと銅メダルを奄美人が取得できたのも奄美の先輩方が守ってきた自然と奄美シーカヤックマラソンがあったからだと思います
そして
カヌーを砂浜から出せて大きい海で外洋で練習できたお陰だと思います。

奄美から新しい
パドルスポーツのメッカになるように
自然の中に溶け込めるパドルスポーツの普及に全力で取り組みたいと思います。
自然と人間が共存できる島を目指したいです。
応援本当にありがとうございます。
この経験を島の子供達に伝えていける活動もしていきます。
それが僕にできる島への恩返しだと思っています。

しゅん
Posted by amanico at 15:50│Comments(2)
│大会
この記事へのコメント
本当に素晴らしいレースでした。お母さん、喜んでいると思います! 揚げ物もビールも、帰ったら思い切り食べてね
Posted by なおみ at 2018年11月12日 23:45
素晴らしいブログ
島の子たちや若者に
夢や希望 命の大切さを
伝えてほしい。応援してるぜ。
じゃっどん身体大事に。
島の子たちや若者に
夢や希望 命の大切さを
伝えてほしい。応援してるぜ。
じゃっどん身体大事に。
Posted by 池田修 at 2018年11月14日 20:36
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