2017年11月23日
アジア選手権で銀メダル!!!
11月19日の11:30頃、僕は香港の外洋で波高4m近い波の狭間の中、大型タンカーを交わしながら1人アヤハブラ(蝶々)のようにヒラヒラとみんなが待っている浜まで漕いでいました。
とにかく無事に海を渡りきり、これから待っている明るい未来に希望を馳せながら。
2日前の同じ場所、同じ時刻に僕は初めてアジアカヌー連盟主催で行われたサーフスキーオーシャンカヌーレーシングアジア選手権で銀メダルをもらう事ができまた。

本当に本当に嬉しくてこの10年間の想いが報われた気持ちになりました。

アジア選手権のスタート地点に立つまで僕は10年間香港の外洋レースに参加し、失敗や挫折、自分の無力さに気付かされそれでも周りの応援や奇跡のような出会いや沢山の方に支えられ微かな光を頼りに10年間香港とハワイの外洋レースに計15回通いました。そしてついに世界カヌー連盟とアジアカヌー連盟が合同で香港を舞台にワールドカップとアジア選手権を開催する事になり、その大きい波に乗る準備や覚悟ができていたおかげでスタート地点に立つ事ができました。
日本カヌー連盟承認の日本代表選手として(今までサーフスキー部門がなかったので選考会はありません)出場し23キロの外洋を今までの経験を生かして最後まで競り合いながらトップと9秒差で銀メダルを取得しました。


そして現在日本に帰って来た僕は、今までお世話になったみんなにお礼を伝えたい気持ちでいっぱいです。
最初に母親に電話をしました。
泣きながら喜んでくれました。
病気を患っている母親を少しでも長く元気でいてもらいたい、そんな想いが1番強かったんだと思います。
今まで沢山迷惑や苦労をかけて本当にごめんなさい。
そして、10代のやんちゃな救いようのない僕にカヌーの楽しさや夢、そしてワクワクする気持ちを与えてくれた坪山さんと森山さんに電話で報告しました。
そして坪山さんに初めて素直な気持ちを伝える事ができました。
またいつの日かアヤハブラ(綾蝶)に乗せてください。
僕は7年前夢を叶えるため工場を飛び立った僕に
坪山さんは、涙が出るや〜〜!と言ってくれました。。
僕たちが10年前あの工場で夢を語り、みていた未来それが奄美大島で世界大会が開けるようにする事でそこにメイドイン奄美のサーフスキー(綾蝶)が海を渡りヒラヒラと浮かぶことを夢見ていました。
その夢が少しづつ現実になる日が近づいて来ていることを報告して、10年前のあの日のように電話でワクワクしながら話をしました。

日本カヌー連盟の会長でアジアカヌー連盟の会長を務める成田会長が日本でアジア選手権を開催したいと言ってくれたのです。

僕はいつの日か海を渡り奄美大島の森へヒラヒラと舞い戻る綾蝶のように僕は奄美でアジア選手権を開催する日を目指してこれからも漕ぎ続けます。そして坪山さんの作る綾蝶が喜界島と奄美大島を世界中の綾蝶と結び世界大会になるまで、、、、、、
これまでカヌーの漕ぎ方を指導してくれた岩元先生、アマニコカヌークラブの仲間、島の同級生や先輩後輩、島の方々、家族、遠く離れた世界の友達、日本の仲間、サポートしていただいているShotzジャパンの皆さん、パタゴニアの皆さん結人プロジェクトの皆さん沢山の応援本当にありがっさまりょうた!!!
ここからがスタートです。
とにかく無事に海を渡りきり、これから待っている明るい未来に希望を馳せながら。
2日前の同じ場所、同じ時刻に僕は初めてアジアカヌー連盟主催で行われたサーフスキーオーシャンカヌーレーシングアジア選手権で銀メダルをもらう事ができまた。

本当に本当に嬉しくてこの10年間の想いが報われた気持ちになりました。

アジア選手権のスタート地点に立つまで僕は10年間香港の外洋レースに参加し、失敗や挫折、自分の無力さに気付かされそれでも周りの応援や奇跡のような出会いや沢山の方に支えられ微かな光を頼りに10年間香港とハワイの外洋レースに計15回通いました。そしてついに世界カヌー連盟とアジアカヌー連盟が合同で香港を舞台にワールドカップとアジア選手権を開催する事になり、その大きい波に乗る準備や覚悟ができていたおかげでスタート地点に立つ事ができました。
日本カヌー連盟承認の日本代表選手として(今までサーフスキー部門がなかったので選考会はありません)出場し23キロの外洋を今までの経験を生かして最後まで競り合いながらトップと9秒差で銀メダルを取得しました。


そして現在日本に帰って来た僕は、今までお世話になったみんなにお礼を伝えたい気持ちでいっぱいです。
最初に母親に電話をしました。
泣きながら喜んでくれました。
病気を患っている母親を少しでも長く元気でいてもらいたい、そんな想いが1番強かったんだと思います。
今まで沢山迷惑や苦労をかけて本当にごめんなさい。
そして、10代のやんちゃな救いようのない僕にカヌーの楽しさや夢、そしてワクワクする気持ちを与えてくれた坪山さんと森山さんに電話で報告しました。
そして坪山さんに初めて素直な気持ちを伝える事ができました。
またいつの日かアヤハブラ(綾蝶)に乗せてください。
僕は7年前夢を叶えるため工場を飛び立った僕に
坪山さんは、涙が出るや〜〜!と言ってくれました。。
僕たちが10年前あの工場で夢を語り、みていた未来それが奄美大島で世界大会が開けるようにする事でそこにメイドイン奄美のサーフスキー(綾蝶)が海を渡りヒラヒラと浮かぶことを夢見ていました。
その夢が少しづつ現実になる日が近づいて来ていることを報告して、10年前のあの日のように電話でワクワクしながら話をしました。

日本カヌー連盟の会長でアジアカヌー連盟の会長を務める成田会長が日本でアジア選手権を開催したいと言ってくれたのです。

僕はいつの日か海を渡り奄美大島の森へヒラヒラと舞い戻る綾蝶のように僕は奄美でアジア選手権を開催する日を目指してこれからも漕ぎ続けます。そして坪山さんの作る綾蝶が喜界島と奄美大島を世界中の綾蝶と結び世界大会になるまで、、、、、、
これまでカヌーの漕ぎ方を指導してくれた岩元先生、アマニコカヌークラブの仲間、島の同級生や先輩後輩、島の方々、家族、遠く離れた世界の友達、日本の仲間、サポートしていただいているShotzジャパンの皆さん、パタゴニアの皆さん結人プロジェクトの皆さん沢山の応援本当にありがっさまりょうた!!!
ここからがスタートです。